映画の素晴らしさ

私たちが接する一般的な娯楽として欠かせない「映画」。約二時間のあいだ、ノンストップで眼前に繰り広げられるその映像の芸術を楽しむことは、私たちにとって当たり前のことといってもいいでしょう。

私たちは何かを「観る」ということを極上の娯楽として楽しんできました。各家庭に一台はあるであろう「テレビ」は、誰でも楽しめる娯楽の一つです。私たちはテレビを見てさまざまな情報を仕入れたり、楽しく笑ったり、時にはサスペンスに心を躍らせながら時を過ごします。現在ではテレビがあることが当たり前になっているので、それが特別なことであるようにはだれも思いません。ただ私たちは「観る」ことを自然に受け入れているのです。

映画はそんな「テレビ」よりもずっと歴史の深いものです。各家庭にテレビが普及するよりもだいぶ以前に成立した芸術です。それは劇場でしか見ることのできない最上の娯楽であり、限られた時間だけ別世界を垣間見ることができる素晴らしいものとして登場しました。だからテレビが普及した今でも映画は娯楽のひとつとしてずっと成立していて、私たちは映画を見るために映画館に足を運ぶことを厭いません。新しい映画が登場すればこぞって見に行きますし、休日の過ごし方としてのスタンダードなカタチとして、また人と親交を深めるためのイベントとして、映画鑑賞は今でも変わらず価値があるものです。

これは家庭のテレビでは、リビングでは決して映画館をそのまま再現することができないからだともいえます。テレビやインターネットなど、現在では当たり前になっている便利な仕組みでは叶えられない臨場感や迫力が、劇場での映画放映にはあるのです。私たちはそれを知っているので、決して映画館から足が遠ざからないのです。私たちは今でも映画をひとつの芸術として認めていて、今でも劇場は価値があるものとして考えています。そのうちその映画はDVDやブルーレイなどのカタチでソフト化され、各家庭に持ち込んで見ることができるようになるはずなのですが、それでも私たちはそれらでは満足出来ないものです。「映画館で見る迫力」は、家庭では再現できないからです。

各家庭のリビングと映画館の差を考えてみると、あらゆる違いがあることがわかるでしょう。それは画面の大きさであったり、音の大きさであったりします。それは簡単には家庭のリビングが追いつけないことでもあるのです。言葉にすると単純なことで、作品自体は変わらないのにそのような部分に価値を感じるのは、映画がそれらを大切にしてつくられたものだからでしょう。私たちはそれらの要素を軽んじることができないのです。それがその作品の醍醐味であり、魅力であるとわかっているからです。

もちろん、作りこまれたストーリーや、映画のために特別用意された映像表現も魅力です。ただ、それらを引き立てる大画面の迫力や、繊細でダイナミックな音声があってこそ、それらが成立するということも、私たちは知っているのです。私たちはそれらの要素を軽んじることなく、その作品を楽しみたいと思っているのです。作り手が考えたその作品の魅力を、存分に味わいたいと考えているのです。だから「映画」は素晴らしいもののまま、今でも芸術として成立しているのでしょう。

↑ PAGE TOP