映画の素晴らしさ

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作品のバックボーンを楽しむ

ひとつの映画作品には、この世とはまた違った世界が練りこまれているものです。その世界はスクリーンに切り取られたもので、作られたものではあるのですが、私たちの感性は「見えているものがすべてだ」とは考えないのです。

その世界ではどんな花が咲いているのか、どんな動物がいるのか。どんな人が住んでいて、どんな暮らしを送っているんだろうか。そのようなことを思わず想像してしまうのが私たちです。例えば、「文学」が意味を持つのは私たちが言葉を理解できるからです。言葉を理解でき、そこに記された事の意味が理解でき、記されたこと、それを読んだことを頭の中で具現化できるから、小説に意味が出てくるのです。そうでなければ、そこにあるのはただの記号になってしまうのです。ですが、私たちは何かを読めばそれが理解でき、想像できるのです。だから文学に「意味」があるのです。小説が芸術として認められるのです。私たちの頭の中に、違う風景、違う光景を思い浮かばせてくれるから、文字と文章にスペクタクルを込めることができるのです。

映画は小説よりもさらに具体的なものです。実際に目にすることができるものとして、スクリーンの向こう側にここではない、今ではない、まったく違った世界が展開しているのです。私たちはそれを目で観て、音で聴いて、楽しむことができるのです。そしてそのスクリーンに投影されていない部分までも、頭の中で補完するのです。それは人によって違うものであるかもしれません。ですが、自分がスクリーンを通じて観ている世界の中で登場人物たちはイキイキと輝き、その世界の中で物語が進行していきます。違う時間軸であっても、シーンが突然切り替わったとしても、そこにある世界は映像として私たちに提示されているのです。

その作品のバックボーンを知り、目にはしていないけれど裏側で何が起こっていたのか、シーンとしては登場していないけれど、登場人物たちが何をしていたのか、そのような設定を知ることでより深くその作品を楽しむことができます。シーンの裏側で違う出来事があったから、それを知ることでよりそのシーンの意味が理解できたり、それを知ることで作品全体が深みを増したりするのです。私たちのイマジネーションによって、その作品がさらに深いものになるのです。

それはある意味「制作されたもの」が含むオーラのようなものです。実際は収録されていないのに、私たちの頭の中で補完されているわけです。人には想像力がある。設定だけ提供するだけで、その人の頭の中で世界が一気に広がる。だからこそ、ひとつの作品の中に違った宇宙を広げることができるのです。私たちに想像するチカラがある限り、無限の世界が存在することになります。私たちが物事を理解して深めることができる限り、芸術は成り立つのです。ただ観るだけではないのです。芸術は「感じる」ことができるものです。感じることができるからこそ、意味があるのです。

私たちはただ映画を観ているのではありません。映画を通じて、新しい世界を自分の中に創造しているのです。進行するストーリーの裏で存在するそれらの世界を創造することで、登場人物の苦悩を考えることで、その作品を額面以上に楽しむことができるのです。

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