映画の素晴らしさ

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なぜ「映画」は価値があるのか

映画とテレビ番組は根本が違います。テレビ番組を経済的に支えているのは広告収入です。その番組を「誰かが見る」ということを見越して、その番組に出資して、出資した分の「コマーシャル映像」を視聴してもらうのです。

それは「提供」という言葉で呼ばれる行為であり、番組の冒頭や最後に「この番組の提供は」というカタチで紹介される企業群がそれらの提供元です。番組の製作者はそれらの提供元に対して「この番組を人に見せて、コマーシャルに接触させる」という責任があります。それらの責任は「視聴率」という指数で表され、視聴率が高いほど、多くの人がその番組に接したということになるのです。テレビ番組はそれらの指数に対して敏感であり、ある意味それらを稼ぐために躍起になって制作されたものであるといえるでしょう。

対して映画はそもそもの収益モデルが違います。映画はそれ単体が「商品」になります。映画館で映画を観るためにはお金を払いますが、それがまず、第一次の収益源です。沢山の人にその作品を観てもらう、楽しんでもらうことが、その作品がビジネスとして成功するための第一歩なのです。まずは「観てもらう」、それはある意味テレビ番組と似た指標かもしれませんが、実はテレビ番組よりもはるかにハードルが高いものです。テレビ番組はテレビさえあれば誰でも見ることができるものです。録画することも自由です。そのため、テレビ番組を見た際に「つまらない、損をした」とは誰も考えないのです。つまらなければチャンネルを変えて自分が気に入る番組を探せばいいだけのことです。

ですが映画はそれができません。お金を払った以上、最後まで見なければ「損」なのです。ここで生じるのは「お金を払ったのにつまらない」という状況です。人はそのようなときにも「損をした」と感じます。一度お金を払っていますから、最後まで観る権利があるのですが、それでもどうしても観るのが嫌になった場合は中座することは自由です。すべての映画はそのようなことにならないために、作品として全力で人に楽しんでもらえるように作られているのです。「観てもらうこと自体に対価を支払ってもらう」、それが、映画が唯一ビジネスとして成立するための手段です。

それを実現するため、映画ではテレビ番組では比にならないくらいの「予算」が投じられています。それは出演するキャストに対しての予算であったり、制作者が思い描いた映像表現を実現するための予算であったりします。いつも見ているテレビ番組では実現できないような映像表現自体が、映画の「ウリ」であったりもするのです。現在ではフルCGで作られていたり、大規模なロケであったりと、その手法はさまざまですが、それらのひとつひとつがその作品に「価値」を付加していることでもあるのです。

私たちはそれらを存分に楽しむために対価を支払います。それらを自由に楽しみたいので、対価を支払うのです。それはテレビ番組では考えられないことです。もちろん、価値のある番組であれば、後にソフト化した際にそれらを購入したりすることもあるのですが、そのようなソフト化に至るためにはその番組が「面白い」ものでなければいけないということがあり、映像作品としては映画の方がアドバンテージを持っているのです。

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