映画の素晴らしさ

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上映中に寝てしまうということ

シアターで映画を観る際、余計なものが見えないように、そしてスクリーンに集中できるように、周りは暗くなります。そのことで、自分とスクリーンの「一対一」の関係が作れるのです。

その映画に引き込まれると、私たちは時間を忘れて没頭することができます。気づいたら終わっているであるとか、もっとその世界に浸っていたいというような感覚を覚えることは多々あるでしょう。対して、「つまらない」と感じたときはどうしようもありません。前評判から期待していたものと違う場合、どうしてもその作品に馴染めない場合、映画に入り込めなくなってしまいます。悲惨なのは始まってすぐにそのような感覚を覚えたときです。始まって間もないのにすでに飽きてしまったとき、どうしてもその作品に対して何も感じることができない場合は、上映中にどうしたらいいかわからなくなってしまうものです。

そのような人は、寝てしまいます。シアターでの上映中の環境は、人によって絶好の睡眠環境になってしまうのです。人は残酷なもので、興味のないものを、お金を払って観るなどということはしません。仕事ではなく、自分でお金を払って観るわけですから、どうせなら自分が気に入ったものだけを観たいのです。それはなんでも同じです。必要のないものを、わざわざお金を払って買うことがないように、興味もないのに長い小説を買わないように、私たちは興味のあるものにだけ関心を向け、対価を支払うのです。ですが世の中はうまくできているもので、どのようなモノであっても「宣伝」を上手にすれば良く見えてしまうのです。プロモーションが上手だからヒットするということが沢山あるのです。

そして、プロモーションによって与えられた前情報で「これは面白い」と感じれば、案外すんなりとその物事を楽しむことができたり、価値を見いだせたりするものなのです。ですが、それでもどうしてもそれが「嫌」ということもあるでしょう。そのような時は、「失敗した」、「損をした」と感じることになります。映画の場合は、周囲の人に迷惑にならないようにその場を去るということもできます。中座して、観ないまま去るということができます。お金は返金されませんが、それでも仕方がないということになるでしょう。選択ミスは自分の責任です。

中座するのが失礼だな、と感じれば、目を閉じれば絶好の睡眠環境です。音は消すことはできませんが、人は不思議なもので静寂でなくても眠ることができるのです。「つまらない」と感じたから寝てやり過ごすのです。すべての作品が、万人に受け入れられるわけではありません。どのような作品にも向き不向きがあります。ホラーが好きな人と、そうではない人がいます。ラブストーリーが好きな人と、そうではない人がいます。戦争映画も同じです。何かひとつのストーリー、ひとつの世界を提示するということは、それが受け入れられない可能性もあるということです。それはある意味芸術の宿命です。それを恐れてしまうと何も作れなくなってしまうのです。そのようなことを乗り越えて、楽しんでもらえる人が沢山いることを祈って、その作品は世の中に送り出されたのです。それをどう扱うかは、私たちの自由なわけです。

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