映画の素晴らしさ

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3D映画とはなにか

最近よく耳にする映画のタイプとして「3D」というものがあります。本来2次元で繰り広げられるはずの映画が、スクリーンから飛び出して自分のすぐ近くまでそれが迫ってくるような錯覚を受けるものです。

私たちの「目」が2つあることを利用した、「視覚」ということを深く捉えた技巧です。それに触発されて家庭用のテレビであっても「3D」を実現できるものが多くなって来ています。私たちの瞳が2つある限り、その手法はずっと使えるもので、目が2つあるから感じている遠近感を逆手にとった手法です。

そもそも「見る」という行為は私たちが生きている以上欠かせないものです。何かを見るとうことは生まれた瞬間から毎日繰り返されるものです。目を開ければそこには目に映る何かがある、見たくなくても、視界に入ってしまえばそれが見えるということです。朝起きてから、夜寝るまで、私たちは「見る」ということを続けています。目で見たものは脳が理解し、即座にそれが「何であるのか」ということが解析されているのです。それは私たちにとってごく自然なことであり、特段特殊なことではありません。

映画はそのような私たちの「見る」ということに対して、ある一定の時間、音声とともに別の世界を切り取って見せてくれるような魔法のようなエンターテイメントです。私たちはその時間眼前に繰り広げられる異世界に引きこまれます。ただ、どうしてもそれは「スクリーン」という「枠」の中だけに限ったものになってしまいます。私たちは意識のどこかで「スクリーン」に映しだされているものなのだと考えています。それ以上でもそれ以下でもなく、それは眼前のスクリーンに投影されているだけだと、頭のどこかで理解しているのです。

それはある種当たり前のことではあるものの、少しさみしいことでもあります。そのようなことを逆手に取って、「スクリーン」が映像を飛び出させるということを実現したのが「3D」映画です。私たちの視覚の仕組みを理解し、利用したことで、本来スクリーンの中だけで投影されていたその世界が、私たちの錯覚とはいえ限られた枠を飛び出すのです。それは「そこには存在しない」とわかっていても思わず身体が反応してしまうほどリアリティを持って私たちに迫ります。「そこにそれはない」ということはわかっていても、それは虚構だということがわかっていても、身体のすぐそばに迫るものに対して、思わず身体が反応してしまうのです。

そのように私たちの錯覚を利用して、身体が反応するほどの臨場感を生み出したことで、映画は新しいステップに突入したのです。最初は私たちの聴覚に対して「サラウンド」というものが生み出されました。そして今では「3D」の技術が精巧さを増し、誰に対しても有効に作用するようになったのです。それは私たちにとって新しいエンターテイメントとして受け入れられたのです。飛び出す映像、3Dの技術は古いものではありますが、それが万人に受け入れられ、家庭のテレビにまで進出したことで、私たちは平面のスクリーンという枠から解放された表現、枠を意識しなくても良い楽しみ方を手に入れたといえるでしょう。もっとリアルに、もっと人の感性に迫る表現が、可能になったのです。

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